駿心の小説置き場あれこれ

創作した物語を綴ったり、好きな作品を呟いたり(未定)

【短編】over【創作】


◇◇◇◇


それは

踊らされている

ピエロのよう


それは空腹を

満たさない食事をする

ママゴトのよう

 

それでも神様は


悪戯をやめない

 

それでも

私は彼を

気にしてやまない

 

それでも

俺は彼女を

離してやれない

 

窓越しのキスは続く

 

 

◇◇◇◇

 


「羽鳥(ハトリ)さん、あった?」

「うん」

夕方が感じ取れる西日が二人っきりの保健室に差し込む。

グラウンドから何かしらの部活の掛け声が小さく聞こえてきたけど、学校の中では何故か別世界に感じる保健室で聞けばただの雑音のひとつに過ぎない。

夏休みに入る前だけど初夏と呼ぶにふさわしいもので、制服の白シャツは自身の汗で充分に張り付かせる。

わずかな風に煽られるだけで高校入学から伸ばし始めている髪も少しだけなびき、汗が逆に心地よく涼ませてくれるものに変わる。

気持ちが良い。

ここ数ヶ月『何か』に心が乱されることはなく穏やかになっているからか、この季節を素直にそう思える。

脱脂綿と消毒液をなんとか見つ出し、白いガラス戸棚から取り出した。

保健医の笹山(ササヤマ)先生を町田(マチダ)くんと二人で一応待っていたけれど、保健室を空けたままなかなか帰ってこないから、もう勝手に使わせてもらうことにする。

両手に手当てグッズを持ち、回転する丸椅子に座って待っている町田くんのところまで駆け寄ったら町田くんは怪我をした手の甲を差し出してくれた。

「手、痛そう……町田くん、平気?」

「うん、全然大丈夫だよ」

高校2年生にもなれば小さな怪我なら我慢できるものなんだろう。

ニッコリと笑う町田くんの様子と傷の程度を見て、確かに平気そうだなと思ったけど、大したことのない怪我でも化膿したらやっかい。

男子達の悪ふざけで盛り上がる中、皆を落ち着かせようとした町田くんの手は整備不備になっていたフェンスでひっかけてしまったのだ。

たまたま居合わせていた私は何故か笑っている男子達に「町田の手当してやって」と頼まれ、町田くん付き添いとして一緒に保健室まで来ることになった。

 

「ごめんね、関係ない町田さんに来てもらっちゃって」

「町田くんももう少し怒ってもいいと思うよ。悪ふざけも程々にしろって」

「ん?いや……みんな悪気ないのはわかっているし、怪我はただの俺の不注意だしね」

町田くんの優しさはクラスの女の子からも評価が高くて、爽やかで柔らかい印象もあって女子人気が高い。

「……それに、こうして羽鳥さんに手当してもらえたら、むしろアイツらに感謝してもいいかも……なんて」

そんな人気のある町田くんに少し照れたように言われ、私は一瞬固まった。

どう反応すればいいのかわからず、とりあえず素早く脱脂綿に消毒液を浸(ひた)した。

早く消毒しないといけないと、一人で頭の中で言い訳する。

消毒液を含んだ脱脂綿を傷に当てると町田くんが小さく「うっ」と堪えるような声をもらした。

「あ……ごめん、染みた?」

「ちょっとだけ。でも大丈夫」

傷に顔を近付けて様子を見ると、町田くんも覗き込んできた。

お互いのその仕草のせいか少し二人の顔が近付く。

ふと目が合い、でも互いに同時に目を逸らした。

「そういやさ、」

「ん?」

「修学旅行、楽しみだよな!!俺、海外とか初めて」

気まずかったのか話を逸らすために始めた話題のようだけど、町田くんは来学期にある修学旅行を楽しみにしているのは別に嘘ではないようで、声が弾んでいることからそのことがわかる。

「…………そうだね」

反対に私の声は萎(シボ)んでいく。

だけどそんな私の様子に町田くんは気付かなかった。

 

「明日のホームルームもきっと修学旅行の話をするだろうね。羽鳥さんは自由時間とか行きたいところはもう決めた?」

「……えっと、うん。……あのね、町田くん」

「ん?」

「ちょっと聞いてほしいことが……」

彼の顔をジッと見つめると町田くんは少し顎を引いただけで何も言わず、私の言葉を待つ。

「実は……その、私…」

「……何?」

「……」

「……え?」

まだ何も言ってないのに何故か既に戸惑っている町田くんの様子を見て、余計に続きが言えなくなってきた。

変なところで言うことを止めてしまったせいでおかしな空気が流れ始めてしまった。

こんな風になってしまえば、どこからどう切り出してもおかしな空気は変えられない。

もう言い出しづらいと判断して、この場を終わらせようと思い、大きめの絆創膏をすばやく貼った。

「……ごめん」

「……え」

「……ごめん、何でもないから。忘れて」

「え……でも、」

「はい、終わったよ」

治療を終わらせ救急箱を持って立ち上がろうとしたけど、阻まれた。

町田くんが手当てが終わったその手で私の手を掴んでいたのだ。
私は戸惑いながらも町田くんの顔を見た。

「あの……羽鳥さん、」

「え…っと、町田くん…手……」

「羽鳥さんっていつもどこか遠くを見てるような……上の空な時があるよね」

「え……」

「単純に大人びた女の子なんかと思っていたんだけど、俺には時々それが寂しそうに見えて」

「……」

「なんとなく見てただけなのに、俺……その寂しい顔がだんだん気になってきて」

「町田くん……」

「俺なんかで良かったら……話してよ」

「……ごめん」

「……あ」

「……」

「いや!!俺もいきなり……ごめん」

町田くんは気遣って笑ってくれたけど私を握る力がますます強くなった。

その仕草の変化に私はやはりどんな反応をすればいいのかわからず固まった。

「町田くん……その、」

「あ……羽鳥さん。その、よかったら修学旅行の自由時間……二人で一緒に廻らない?」

「……え?」

「ホント……羽鳥さんさえ、良ければなんだけど…」

町田くんは手を離してくれないまま立ち上がって、一歩分だけ私に近付く。

その眼差しは真剣で、西日のせいで町田くんの顔が赤くも見える。


「その……つまり、だから……実は、俺……ずっと前から羽鳥さんのこと……」







──コツコツ…

……

 

町田くんの言葉を遮るようにグラウンド側の窓からガラスをノックする音が聞こえてきた。

突然のことに二人で驚きながら音の鳴る方を見ると、コツコツと再度ノックの音がする。

「笹山先生いる?怪我したから見てほしいんだけど?」

開け放していた窓から低い声が通る。

聞き覚えある声に胸が痺れた。

まさかと思い、窓のその先をおそるおそると見ると、一人の男子生徒がカーテンの隙間から顔を出した。

赤髪が光で僅かに反射する。

その眩しさに目を細めながらも相手を捉え、そして目が合えば、相手が私を見てニヤッと笑った。

……よりによって、見られた相手は、

「……悪い、お取り込み中だった?」

___光太(コウタ)だ。

私が今一番この現場を見られたくなかった人物だった。

笑ってはいる。

だけど光太の眉はひそめられ、私を見るその瞳に憎悪が含まれているのがわかる。

あぁ、今日もいつも通りの彼だ。

彼の相変わらずの表情に私はむしろ落ち着いた気持ちで見つめ返すことができた。

だけど反対に町田くんは突然の訪問者に慌てたようで、急いで私から手を離した。

 

「あ、い……いや、別に何も……ないよ。ね、羽鳥さん」

「……うん」

笑って誤魔化そうとする町田くんを気にも留めず、私はただ一点にその赤髪を見つめていた。

気付けば掴まれていた手首の圧迫が緩んだ。

「じゃあね!!羽鳥さん、手当てありがとう!!また明日!!」

町田くんはいつもの変わらない爽やかな笑顔で保健室から出ていった。

だけど窓辺には光太がまだそこにいる。

保健室を去って行った町田くんに手を振り返すこともなく、私はただ立ち尽くしたままだった。

二人きりに取り残された保健室。

光太は外にいるまま、こちらに入ってこようとはしない。

私は少しだけ俯いた。

窓から光太はせせら笑いをもらした。

「悪いな、邪魔したみたいで」

「……別に」

持っていた救急箱を机に置き、私はゆっくりと彼がいる窓の傍まで歩み寄った。

その顔はさして邪魔して悪かったとは微塵も思っていないようで、軽く鼻で笑われた。

なんで……よりにもよって……。

同じ学年だが、一年もそして現在の二年もクラスが一緒だったこともないし、昔からの馴染みの間柄でもない。

それでも私は彼を知っている。

彼も私を知っている。

偶然に、お互いのことを知った時は自分の息が止まるかと思った。

多分きっと、それは向こうも同じ。

そして今。

私は光太の存在から目を離せなくて、光太は私の存在を無視する。

だけど時々、彼はこうして気まぐれに私に絡みにやってくる。

話し掛けられたのって……何ヵ月かぶり?

ようやく最近心が落ち着いてきたというのにそれを見計らったかのようにまた来た。

早まる鼓動を悟られないように呼吸を整え、声を出した。

「……それで?」

「何が?」

「……どこを怪我したの?」

「……」

「怪我したんでしょ?」

「……さぁな」

光太は白々しく宙を仰いだ。

程よく筋肉がついている男の身体はどこかを負傷した様子を微塵も感じない佇まいで、私は光太の白シャツから徐徐に上へと視線を上げ、精悍な横顔を見つめた。

耳にはまたピアスの数が増えていた。

……怪我していないのに、もしかしてわざと入ってきた?

……何のために。

彼が嘘をついた理由が思い付かない。

「……ふーん、あんたも意外にやるんだな」

「……え……何が?」

「さっきのって、向こうの告白寸前だったんじゃねぇの?」

「……」

 

町田くんの赤い顔や緊張した声のうわずりに、私も薄々もしかして告白されるかもしれないとは思った。

でも光太からその話題を振られるとは思わなかった。

まさか町田くんの告白を阻止するために嘘をついて会話に入ってきたの?

それこそ『まさか』である。

期待を殺すように私は出来る限りの冷たい声を出した。

「……別に、あなたには関係のないことでしょう?」

正直、私は今町田くんのことなんてどうでもよくなっている。

視線を反らして、興味のない振り。

だけど、単純に相手との物理的に近い距離に心臓が早くなっている。

彼のシトラスの香りを風が届けてくれる。

久々に光太の存在を肌で感じることが出来ることに私の意思とは関係なく勝手に胸が奮えている。

光太の顔を真っすぐに見ることができず、なんとも言えないこの空気を光太の着崩しているシャツのボタンを見つめることで時間を稼いだ。

「へー。まぁ、確かに俺には関係ないけどよ」

私の必死の抑えを彼が知るはずもなく、私の精一杯の冷たい言い返しもあっさりと笑って返された。

「じゃあ、あんたは誰かに告白されても、受け取ることが出来んのかよ?」

「……?どういう意味?」

本気で言っている意味がわからず、見上げると逆光で眩しい光太の笑いがあった。

片方の口角だけを上げた、意地の悪い笑顔。

「あんた、俺のこと忘れられんの?」

光太の言葉にカッと身体が熱くなった。

何かを言いたいのに私の声は言葉にならなかった。

腹が立ったとか、恥ずかしいとか、自分でも明確に表せない色んな感情が入り乱れて、自分で自分をコントロールできず、ただ唇を震わせただけだった。

「なんだよ、言いたいことあるんなら何か言い返せば?」

ポケットに手を突っ込み、斜に構えた光太に見下ろされる。

何もかも見透かされているようなその瞳が……綺麗で、魅力的で、……恐い。

ただ体内の血が沸騰し出したかのようにただ熱い。

心臓がうるさく鳴り続けている。

私は精一杯、声をふりしぼった。

「変なこと……言わないで!!」

「……」

「忘れられるのかって……自惚れないでよ!!」

「……」

「私は別にあなたのこと……そんなんじゃない。なんとも思ってないから!でも……忘れられないでしょうね!!そりゃあある意味。もう色んな意味で!!」

「……それは___」

先程からの嘲笑をやめて、光太は真顔になった。

「俺を憎んで……って意味か?」

突然、真顔でそういう風に聞かれたことに、言葉を詰まらせた。

そう思われるのは仕方ないこと?

当然のこと?

光太の目の奥の冷たさが恐い。

だからもう一度、視線を落として目を反らした。

先程の怒りに似た気持ちが嘘のようにしぼみ、力なくゆっくりと首を横に振った。

「それは……違うよ」

「……」

「……別に憎んでないよ」

「……へぇー」

「ともかく、あなたに変な心配されなくても……私はあなたのこと、何とも思ってないから」

「……」

「だから余計な心配しなくていいから」

「……じゃあ、さっきの男とかに告白されたら付き合うんだ?」

低い声でそう聞かれ、その言葉を光太がどんな顔で言ったのかなんて見れなかった。

私はただ泣いてしまわないようにカーテンを握りしめた。

「……もし告白されたら、それも考えるよ。もしかしたら付き合う……かもしれない」

「ふぅーん」

「……」

「まぁ、そういうことなら俺は助かるけど」

光太は窓の横枠を掴みながら少し保健室の内側に上体を乗り出し、こっちの顔との距離をグッと縮めた。

「俺はアンタのこと、大嫌い……だからね」

軽く笑いを含んだその言葉に、握っていたカーテンを微かに揺らしてしまった。

彼が私にこう言うのは仕方のないこと。

当然のこと。


「わ……私だって、あなたのこと、嫌…い……」

こちらの動揺に気付かれたくない一心で、私も精一杯言い返す。

だけど私の言い返しもなんてこともないようで、光太はまた鼻で笑った。

「……じゃあ、たまに黙ってこっち見てくるの、やめてくれない?」

「……な」

「わかるから、視線が」

「……」

「それだけで鬱陶しい。コッチはあんたが視界に入るだけでイライラするっていうのに」

「……」

動揺を悟られたくない。

精一杯に耐えていたい。

だけど……積み重なる苛立ちと悲しみで唇を噛んでしまう。



「まぁ、上手くいくんじゃない?さっきも良い雰囲気だったし、向こうもあんたに好意持たれてるって思って自信あるんだろうし」

「……え?好意?私が?……何を根拠に?」

光太はバカにしたような笑みで私を見下ろした。

「『聞いてほしい』とか言って、あんな意味ありげに話を止めたら、バカな男は勝手に都合の良い解釈して、脈アリとも思うんじゃね?普通」

「え……!?私は別にそんなこと__」

「じゃあな」

一体いつから私達の話を聞いていたんだろう……。

光太は背中を向けて、遠ざかろうとした。

やっぱり怪我なんて嘘なんだ。
なんのために?

なんで話しかけてきたの?

目にはいるだけでイラつくのならずっと無視してくれたらいいのに。

それがムカついた。

いつもそうだ。

こちらの心を散々掻き乱しといて、とたんに離れていく。

「……私は、」

 

積もりに積もった何かの塊が弾けた。

大きく息を吸う。

「修学旅行、行かない!!」

大声でそう叫んだら、彼の足は止まった。

「……行けないの。町田くんに言いかけたことはそれだけ。『私は修学旅行には行かない』って」

怪訝そうな顔で振り返った光太はゆっくりとした足取りで、戻ってきた。

「何?行かないって……」

窓枠を挟んでいるとはいえ、充分に近いやりとりに私は軽い目眩を覚えた。

だけどその目に負けまいと、光太を見つめ返した。

「だって、自分の戸籍……見たくないから」

「……」

「パスポート作る時、自分で確認して……他の人にも見られたくないし……から、作りたくない。パスポートを作れないんじゃ、海外へは行けない。……行かない」

「……」

「そんな再確認……したくない」

「……お前、」

「だって私はお父さんに認めてもらえな──」

言い終わる前に大きな手が近付き、私の髪の根元からぐしゃりと掴まれ、顔の向きを無理矢理に上にされた。

「いい加減にしろよ……桃日(モモカ)」

決して叫ばず喚かず、だけど呻く様に凄んだ声で囁かれた。

こんな時になってようやく名前を呼んでくるなんて……ズルいと思った。

でもズルいのは私も同じで……

自分の傷も相手の傷も関係なく、手段を選ばず掻き毟ったのだから。

彼を引き留めるのはこれしかないのだから。

光太は強い眼光を緩めることなく、ひどく冷たい目つきで私を見つめた。

「お前の主張なんかどうでもいいんだよ。そんな文句を俺に言うんじゃねぇよ」

「……私は別に文句を言うつもりは、」

「うるせぇよ……悪いのは、人の旦那に手を出したお前の母親だろ?」

低い声。

冷たい目。

それは仕方ないこと。

当然のこと。

彼に恋をしてはいけない。

私達の母親は、私達が同じ高校にいることを知っているのだろうか。

知っていたとしても私達が気付いていないと思っているのだろうか。

ただの偶然。

なんで私達は気付いてしまったんだろう。
運命?

そうだというのなら、あまりにもひどい。

最初から知っていたのなら、せめてこんな想いも覚悟できたのだろうか。

そもそも関わらなかったのだろうか。

なんで私は……彼から目を反らせないんだろう。

後戻りの方法を誰か知っているのなら、何でもするから教えてほしい。

文字通り目と鼻の先の光太の瞳が揺らいだ。

「修学旅行に行きたくないだぁ?勝手にしろよ」

その声は

凄みはあるのに、なんだか光太が壊れてしまいそうだ。

それが苦しい。

耳のピアスが夕日でまた反射する。

次に会う時にはまた増えるのだろうか。

それが光太なりの自分を保つ方法なのだろうか。

それが悲しくて、私はいつも光太のピアスを見る度に辛くなる。

無理に自分の首を振って、光太の手を払い、軽く光太を突き飛ばした。

そうすることによって、やっと距離が生まれる。

これが傷付かない距離の間合い。

きっと正しい距離。

「……ごめんなさい。私は……」

「……」

「……ごめん」

そのまま窓を閉めて、カーテンも閉めた。
始めからこうすれば良かったのだ。

カーテン越しの窓に背中を預け、天井を仰いだ。

始めからこうすればいい。

自分から何も言わなければいい。

相手の言葉も無視すればいい。

でも…

なんでこんなに気になるんだろうか。

せっかく落ち着いてきたと思っていたのに、またここから数ヶ月……今日のことを何度も反芻(はんすう)しては一人で勝手に心が囚われて、手にものが付かなくなるんだ……きっと。

なんでこんなに気になる……のか。

本当は、答えを知っている。

でも言葉にして、形にしてしまうことは……駄目なのだ。

本当の後戻りが出来なくなってしまう。

カーテンから手を離し、窓から身体を離した。

数分前まで彼がそこにいたカーテン越しの窓を見つめた。

僅かにひりつく頭皮を自分で撫で、自分の手でクシャリと髪を乱した。

もうこれで彼と話すことも、接触することもないだろう。

それでいい。

それがいい。

卒業まで、お互いを無視をすればいい。

そっと窓に近付き、カーテンを撫でた。

……

しばらくして、カーテンをゆっくりと開けてみた。







つい、本当につい。

 

光太がいないとわかっているのに。

 

だが、見上げた先に、


そこに光太がまだ立っていた。




てっきり、もうどこかへ行ってしまったものだと思っていたから、とても驚いた。

向こうももう一度カーテンが開くとは思ってなかったかのように目を見開いて驚いている。

なんで?

なんでまだいるの?

胸の奥が苦しく叫ぶ。

そこでずっと窓越しの私を見つめていたの?

私と同じように?

違う、やめて、そんなわけがない、そんなはずがないって思わせて。

期待と絶望が綯い交ぜ(ないまぜ)となりながら、光太をただ見つめた。

目の前にたった窓一枚を挟んでいるだけとは信じられないくらいに……光太が遠い。

そうして数秒見つめ合った。

光太は驚いて開いた瞳をゆるめ、何かを諦めたようにひとつ溜め息を吐いた。

一歩、こちらに来た光太は窓ガラスにコツンと額をつけた。

なんで泣きそうになっているの?

私は戸惑う。


光太の唇がふと動き出す。

よく聞こえないから、吸い込まれるように私も一歩近付いた。

窓があることで声はさっきみたいにクリアには聞こえない。

だけど、ポツリ……ポツリ……と耳に届く。







桃日のせいじゃない。

わかってる。

“こども”のお前に言ったって意味がないんだ。

「……」

でもお前を認めたら…

親父がしたことを認めることになる。

お袋の悲しみを否定することになる。

……だから

それは無理だ。

「……当たり前だよ。……当たり前」


……

「私の存在は……邪魔。光太にとって憎む存在。それは、当たり前のことでしょうがないことだから。だから……いいんだよ」

お前の……

「……」

桃日のその……慣れきった面が嫌なんだ。

「……え、」

だからお前が嫌いだ。

「……」


もっと……俺らを妬んでくれたら……いっそ楽なのに

「……」

もっと笑えばいいのに。

全てを諦めたようなお前なんか……

「……」

嫌いだ。







光太のその目がひどく切なくて、綺麗だった。

もっと妬んでくれたら楽なのに……

もっと笑えばいいのに。

同じ事を私も光太に思う。

だけど光太はいつも一緒になって傷付いている。

ピアスを見つめながら、それを感じる。



光太は窓越しの間近の私を睨む。



お前なんか嫌いだ。

俺はお前を……嫌いじゃなくちゃ……いけないんだ。

そうじゃなきゃ……俺は……



一回、額を離した光太はもう一度窓ガラスに額を打ち付けた。

自分を痛めつけるようにゴツッと強めの音が響いた。

 

 

……なんで、

お前なんだよ。





 

光太の言葉に吐息が止まった。

なんで?

なんで?

なんで?

多分一生わからない。

窓ガラスに置いてある光太の握りこぶしの位置に一枚のガラスを隔てて触れてみる。

冷たい。

触れてはダメだから、余計に触れたくなるだけ?

それとも……

泣きそうになっているその顔に触れて、抱きしめたいと思っている私は、おかしいのだろう。

でも、私は……

私は光太のことが……




ゆっくりと背伸びをして、光太の顔に近づける。

光太に窓越しのキス。

ガラスに触れた唇はすぐに冷えてしまった。


目を開けば、光太も動かないまま私を見つめ、窓ガラスに触れていた。

間近のその瞳に頬が火照った。

窓越しで交わしている口付けは驚くほどに虚しい。

だけど、これが傷つかないギリギリのライン。

本物を知ってはいけない。

窓ガラスから口を離し、かかとを地面に付けて、自分の上履きをただ見つめた。

空白の時間が生まれる。

ついさっき、俺のこと忘れられるのか?ってバカにされたばっかりなのに。

私も何とも思っていないって言ったばっかりなのに。

これ以上は、本当に駄目。

窓から手を離した。

その瞬間、

鍵をかけていなかった窓が開けられた。

「___桃日」

ドキリとした心はすぐに身体に命令を送った。

何か言われてしまう前に逃げてしまおう…

そう思った。

そう思ったのに、踵(きびす)を返す前にすぐに手を掴まれた。

捕まった。

逃げられない。

……違う。

嘘。

本当はすぐにでも振り払うことが出来る。

それぐらい優しい握り。

だけど、逃げられない。

「桃日……」

「あ……」

光太は窓に足を掛けた。

「__ッッ、だめ、光太!」

「……」

「こっちに来ちゃ……ダメ!!」

「……」

「……お願い……来ないで」

こないで

こないで

ずっとこらえていたものを、おさえていたものを、

お願いだからこれ以上、暴(あば)かないで。

お願いだから

お願いだから……

光太は切なげに目を細めた。

「桃日」

「光太……だから、」

「…………遅い」

光太は窓を越えて、私の元へ飛び下りた。

その手は握られたまま。

その目は見つめられたまま。







「……もう、遅ぇよ」




なんで私は光太のことが好きなんだろう。

なんで光太は私から逃げなかったんだろう。

お互いに苦しくなることがわかっているのに、入ってしまった。

甘い刻の距離に。

傷つけ合う距離に。



それが、窓を越えるということ。

「桃日__」

窓を越えてしまった。

 

 

◇◇◇◇

 


踊りをやめたピエロが
涙を流す

葉っぱに包まれた
どろだんごを
口に含む



それは犯してはいけない

タブー

窓を越えて
触れてしまえば

もう後戻りは出来ない

 

 

◇◇◇◇

 

-end-