【創作小説】こんとんのはな【最終話】
……————
「へぇ、大変だったんだね」
お茶を啜りながら宗鱗が先日の出来事を花寿美から聞いた。
溜め息を吐いた槐はちゃぶ台を拭いたあと、お茶菓子で貰った煎餅を出した。
「あの野郎……この周辺に雑魚を撒き散らして、俺をこの店から離れさそうとさせたり手の込んだことまでして……本当に面倒でした。まぁ、最後は蹴散らしてやりましたけど」
「でもそれはちゃんと集中して探れば周辺に撒かれた悪魔達の元が何処かわかるし、相手の魂胆も予想できたはずだ。結果、花寿美さんのことを守れたから良かったものの……もっと気を付けなさい」
「……反省しています」
「ははは、君は凄い力を持っていても花寿美さんのことになると急に視野が狭くなることが欠点だね」
宗鱗が言ったことに槐は動作を固め、花寿美は赤い顔で何度も首を振った。
そんな二人を見ながら宗鱗は微笑んだ。
「いや、でも気を付けた方がいいのは確かだよ。いくら相手が形(なり)をひそめていたからといって、初見で相手の正体に気付けなかったんだ。なかなかの実力者だったのかもしれない。今後も警戒した方がいいね」
『今後』
花寿美はその言葉に顔を上げた。
「……槐は……神様の世界に、帰らなくても良いんですか?」
宗鱗は困ったように眉を下げながら笑った。
「僕としては是非帰ってきて欲しいんだけどね。でもまだ花寿美さんの『狭間』がまだ不安定の内は難しいかもね……今回のこともあったし。修復にはまだ時間がかかりそうだ」
「……何度も言いますがそもそも自分は戻るつもりは無いんすけど」
ずっと傍にいてほしい。
自分から離れないでほしい。
しかし物理的に四六時中離れず、ずっとずっと一緒にいれば、満たされる願いなのか。
いつまでも甘えた存在ではありたくないとも思う。
「……槐」
「はい、何スか?」
「宴の警護……出てあげたら?」
「へ?いや、だから自分はお嬢を放っておくわけには……」
「でも私に力を使ったしばらくは悪魔が寄り付くことはないんでしょ?貴方、そう言ってじゃない」
「そう……ですけど」
「毎日じゃなくても、そうした間に宗鱗さんのお手伝いは出来ないかな?大変?」
槐と離れたくはないが、依存は違うとも思った。
もっと槐のことをもっと強く想うようになったら、自分の手近に収めるようなことを無理にしても駄目だと思ったのだ。
宗鱗は表情を明るくして花寿美に微笑んだ。
「うん、一日二日だけでも充分だ。花寿美さんからもそう言ってもらえると非常に助かるよ」
宗鱗は席を立ち、帰る準備を始める。
「そうと決まれば、その手筈の用意をしなくては」
「な……待ってください、宗鱗さん!!自分はまだそうするだなんて言って……」
「良い返事を期待している!!」
笑顔で優しい物言いなのに、迫力があった。
「……あ」
花寿美は自分の言ったことなのに、ひとつの不安が過った。
「……でも夢魔を祓うってことは、その人達の所へ行って、触れる……ってことですよね」
それが助けるための仕方ない手段とはいえ槐が多数の人間にキスをしていくということ。
神様にとってなんら大したことでないにしても、花寿美は嫌だと思ってしまった。
「いや、心配はいらないよ」
宗鱗は花寿美に笑いかけて、否定した。
花寿美は何のことかと思って首を傾げ宗鱗を見つめて言葉の続きを待った。
「人間に槐の姿を見られないか心配しているんだろう?そんなことはないはずだから大丈夫だよ」
「え……」
「力が無い者ならその人達に直接接触して、そこから神通力流してようやく力が発揮が出来るんだが、槐ほどの実力なら媒体を介さずとも力を使えるよ」
「……………………強力な悪夢でもですか?」
「槐より強力な悪夢なんて数えるほどだよ」
花寿美は宗鱗が言ったことにしばし無言になった。
「……」
槐は何も答えずに宙を見る。
「じゃあ槐、僕は準備に帰るから、是非前向きに考えておいてくれ」
上機嫌で笑っている宗鱗は二人の変化に気にも留めずにそのまま帰っていった。
和室に残された二人。
「……」
「……」
花寿美は槐を見つめるが、槐は一向に花寿美を見ようとしない。
「……槐」
「……」
「………………貴方、キスしなくても力が使えたのね」
「した方がよりやりやすいのは事実です」
「……じゃあ今までのはそれほどの悪夢だったのよね?」
「……」
槐は自分の顔を片手で覆って隠したが、その耳は真っ赤なまま隠せていない。
見た事ない槐に花寿美は動揺した。
「……なんで、そんなこと……」
「………夢の中では……」
「え?」
「夢の中では怯えるのに、現実の世界では信じて疑わないお嬢の絶対的信頼が……自分は心地良かったんです」
槐はゆっくり細く長い溜め息を吐いて、顔を拭う。
「本当は貴女が寝ている間に悪夢はほぼ祓い終わる。だけど夢の名残で自分の姿を見て怯えては自分のところに貴女はいつも来てくれた」
「それは……」
「こんな妖怪もどきである自分なんかに……身を委ねてくれることが、どれほど嬉しいことか。原因が自分であるにも関わらず……矛盾してますね」
「槐……」
「貴女が年齢を重ね、大きく……綺麗に成長しても自分への信頼が変わることはなかった。……正直、困りましたね」
「…………困る?」
「冗談で……ちょっとした警告のつもりで『口付けで介した方が良い』って言ったら……それなのにお嬢、戸惑いながらも素直に目を閉じるもんですから……」
「……っ」
「……すみません……自分で言い出したことですが、その顔を見たら誘惑に勝てませんでした」
花寿美は槐の熱に釣られて顔を赤くした。
「あ……貴方って人は…」
「……何度も色々警告は口にしてはいたんですが」
「……」
「……」
時計の秒針だけが音を刻んでいく。
重ねるごとに温度が上がっていく感覚となる。
もし傍にいてほしいという願いが自分一人のものではなかったのなら……
心臓がドキドキと鳴った。
「……槐」
「……」
「…………私に触れてもいいのは……私が『良い』と言った時だけよ」
「……え?…………はい」
「これからも、守ってくれる?」
目を見開いた槐は花寿美を見た。
「……お嬢、ご自分で言ってること……わかってますか?」
「わかってる……わ」
「……それは、」
「……」
「許可があれば触れても良いってことですか?」
「……」
「……」
「……」
「……」
花寿美の隣に槐は座った。
「……」
「……」
「……お嬢」
「……」
「……」
「……」
「……宜しいでしょうか?」
言葉にせず、花寿美は少し俯いて目を閉じた。
息が止まるほどの力で抱きしめられた。
息をゆっくり吐いても詰まる胸が治ることはない。
花寿美は槐の服を握るので精一杯であった。
槐の抱きしめる力は緩まることなく、そのまま槐は花寿美を倒した。
「……え、これは」
「……すみません」
「最近、大好きな女の子とまともに交流出来ていないから、ついでに暴走してる……の?」
「……日頃の自分の行いのせいですが……でもそんなことを本気で言ってるのなら自分怒りますよ?」
「……」
少しだけ顔を傾け、花寿美に顔を寄せた。
近付く最中、お互いの息が少しだけ止まった。
「ごめんくださぁーい」
閉めているはずのお店の方で声がした。
花寿美と槐の二人は動きを止めて、目を開けた。
「……槐、今の声……」
「……無視してください」
「でも……」
「今お店は閉めてます。いいから」
槐の肩越しに笑っている男が見えた。
「昼間からイケないんだ〜神様ぁ〜?」
初めて見る私服姿を見せる洋は戸に凭れかかり、二人を見下ろしていた。
振り返った槐が鬼のような顔で洋を睨み付けた。
「何でテメェまたノコノコ来てんだ!!そもそも何勝手に入ってんだ!!店は閉めてるだろ!?掛け札も目に入らないのか!!」
「淫魔の俺には中で行われてる厭らしい気配がわかるから。日下さんをロリコンから助けてあげようと思って」
「あぁん!?」
立ち上がり、槐は平然と笑っている洋の胸ぐらを掴んで揺らした。
「この前ブッ飛ばしのにまだ懲りてねぇのかテメェは!!今度こそ殺すぞ!!」
「日下さんが傍にいたからムチャできず力も全開に使わなかったみたいだけど。あの程度で俺を潰せたと思ったんなら甘いよ」
「はぁ!?」
「でもあんたのせいで俺の力もそれなりに弱っちゃって……完全回復するまでかなり時間が掛かりそうだ。しばらくは人間みたいなもんだから。だから見逃してよ、ね?カミサマ?」
「完全回復する前に消炭にしてやろうか?」
花寿美に対する態度とは180度違う槐に少し戸惑いながら、花寿美は二人の間に入った。
「……槐、とりあえず一回離してあげたら?」
「無理です。コイツを抹消しますんで、お嬢ちょっと離れて待っててください」
洋は脅されている状況にも気にしない様子で笑っていた。
「あはは〜野蛮だぁ。日下さん、本当にこんなロリコンが良いの?」
「……錨くん、あなた一体何の用があって此処に?」
「人間の振りをして侵入して潜むのって結構大変なんだよ?知ってた?」
洋は槐の腕からヒラリと抜けて、花寿美の手を両手で握った。
「せっかく学校にも馴染んできたところなのに、もったいないなぁって思わない?もう少し潜入したままで良いかなぁ〜って。だからまだしばらくは宜しくねっていう挨拶に来た」
「はぁ?何だって!?」
花寿美よりも先に槐が叫んだ。
「大丈夫だよ、太陽が出ている間は悪魔の力は発揮できないから。ましてや、今の俺の力は人間レベルだ。心配いらない」
「てめぇ!!心配に決まってんだろ!!とりあえずお嬢から手を離せ!!」
「力はないけど、交流はしておこうと思って。どっかのチンピラロリコン神様が店番している昼間の間は日下さんとの学園生活を楽しませてもらうよ」
「それが心配だっつってんだろ!!帰れ!!二度と姿見せるな!!」
槐は再び洋に掴みかかり、追い出そうとするが洋は飄々と躱した。
まだしばらく騒がしくもめるのだろうなと花寿美は呆れた溜め息をつく。
……————
日が落ちる頃、槐は草履を履いて、裏庭に出た。
「お嬢、すみませんが自分はもう失礼させていただきます」
「お疲れ様」
「お嬢!!明日、学校でアイツが近付いてきても全力で逃げてください!!」
心無しか疲労が見える槐は花寿美に注意をする。
「……でもこれから文化祭の準備があるから、多分顔合わせないようにするのって難しいと思う」
「何呑気なこと言ってるんすか」
槐は自分の首を揉みながら溜め息をつく。
「お嬢が相手に心を許してしまったら自分がお守りできるのにも限界ってものがありますから」
「……それなら大丈夫」
不安を抱えて迷っている時に洋を招いてしまった結果が夢の隙を突かれたのだと思う。
でも心の在処が決まっている限り、大丈夫と言えるはず。
花寿美は槐の裾を摘み、指先だけに力を込めた。
「……」
「……」
「……あの、お嬢」
「駄目よ」
「まだ何も言ってませんから」
「さっき押し倒してきたから、そんなことするなら駄目」
「いや、あれは、そのなんと言いますか……」
「だから駄目」
「……はははー。その……すみません…っした」
自分がしてしまったことに槐は苦笑いをするしかなかった。
「……え」
背伸びをして、槐の鼻に花寿美は自分の鼻を触れ合わせた。
「……私から……触れるのは……かまわないでしょ?」
「……構いませんが……」
夢だけでは飽き足らず、全てを吸い込み、花寿美を守る鼻に。
槐も鼻と鼻でキスをする。
「……自分が約束を破ってしまわないように程々にお願いします」
花寿美を守ってくれる獣。
目が覚めて花寿美の目に涙の雫。
一筋の涙は朝日の中で見つけたあの時の愛しさと同じものだった。
混沌の中で満たされる。
【完】
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