【創作小説】君の為に僕は【3話】
◇◇◇◇
桜も散り切って、青く繁々となった学校の帰り道。
「フミノリくん」
後ろから声をかけられたとき、正直な話、ビビってしまって背筋を伸ばした。
振り返ると、控えめにフフッと笑っている九姫がいた。
「ツムギ……」
「久しぶり」
久しぶりも久しぶりだった。
最後に話したのは2年前の受験期。
『フミノリくんも同じ高校を受けるんだね』
と声を掛けられたときだけ。
高校に上がって、初めて声を掛けられた。
久しぶりの九姫の笑顔は2年前より更に大人となって、良い香りがした。
「……ビックリした」
「ふふ、そんなに?」
「僕らは……なんというか、そんなに仲良いわけじゃないし」
こんな風に言えば、普通なら癪に障る物言いかもしれないが、僕は九姫との親交を深めたいわけではないから、これぐらいの距離感でいいのだ。
しかし僕の言葉に九姫は少しだけ悲しそうに俯いた。
「そっか……私は個人的にフミノリくんと仲悪いとは思ってなかったから」
「え……は……え……だって、今日も二年ぶり……」
九姫に声を掛けられたときから平静を装っていたが、何だか動揺して言葉に詰まった。
「確かに話した回数は頻繁じゃないけど……なんていうのかな、フミノリくんとの会話は印象的だから、私の中で残っている事が多いから……かな?」
「え……あ、そう」
恐らく九姫が言っているのは6年生の転校したての時のこと。
母親から止められて九姫を避けていたが、どうしても好奇心を止められなくて
『お前、二十六木 九姫って、数字ばっかだな』
と聞いてしまったのだ。
小学生だった九姫は俺の質問に少し瞬きをしたあと、堪えるように口を両手で抑えて、ずっとクスクスと笑っていた。
思えば、当時の彼女は『名字』を変えたばかりで、そんなことを言われる事が真新しくて面白く感じたのかもしれない。
その縁があってか、なんとなくお互い下の名前で呼んでいた。
それだけの関係なのに、『印象的』という言われて彼女にとって僕は特別なんじゃないかと一瞬錯覚しかけた。
「……それで、2年ぶりにどうかした?」
「そっか、私達が話すのは2年ぶりなんだ。たしかにそれじゃあフミノリくんが驚くのも無理もないね」
九姫がそう答えた事に、具体的な年数を覚えていた自分が明るみとなり、喉がカッと熱くなった。
九姫を意識していると思われるのではないかと焦ったが、九姫は気にしない風に僕の隣りを歩きながら話し出した。
「松木くんって……フミノリくんは友達?」
「え?松木!?」
松木が九姫を褒めていた、この間の昼休みでの出来事を思い出した。
「この前、ちょっと立ちくらみして階段の途中でしゃがんじゃってたら、同じクラスの松木くんって人が『大丈夫ですか?』って声掛けてくれて……保健室まで連れていってくれたの」
「え……あ、そう……なんだ」
「その……何というか、フミノリくんと友達だった気がするんだけど、もしかしてフミノリくんは私のこととか……松木くんに話さなかったの?」
「え……」
九姫の反応は当たり前だったと思う。
この町に来てから、今まで色んな人間に噂されて避けられてきている。
九姫に声を掛ける人間と言えば、この町の出身ではない男だ。
しかしそれも2年生という高校でもある程度の月日を過ごしてきているのに、今更彼女のことを知らない人間なんてもう少ないはず。
ましてや、新しく入ってきた下級生ではなく、同じ年の人間なら、なんでまだ自分を知らないのかと不思議に感じるはずだ。
しかし、松木はもう彼女に近付くことにためらう最低限の噂をもう知っている。
透が遠慮なく、話している。
それでも松木が九姫に声をかけたのは、アイツが本当に良いヤツだからだ、きっと。
だけど、僕は何て答えたらいいのか、わからずに黙っていたら、
「ありがとう」
と九姫は笑ってくれた。
九姫は何かを勘違いしたようだ。
違うんだ、僕たちは九姫の噂を下世話に話題に出していて、九姫を遠巻きに噂する野次馬と何も変わらない……と言おうと考えたが、自ら下世話な人間と紹介する勇気もなく黙ったままになった。
「きゃ」
黙って歩く隣りで九姫が急に声を出して僕の懐へ飛び込んできた。
さっき声を掛けられた比ではない程に、心臓が飛び退いた。
いつの間にか付いた身長差で自分の目の前には彼女の頭部があって、鼻孔に花の香りが届いた。
「え、ツムギ……なに?」
「あ、ごめん。目の前に虫が……」
九姫に言われて、糸をひいて吊り下がっている小さな小さな青虫が確かにいた。
「ごめんね、ギリギリまでそこに虫がいるの気づかなくて……」
九姫も慌てた口調で軽く笑ったが、僕は彼女の香りと柔らかさと、目の前の長い睫毛に僕から言葉を発せなかった。
視線を彼女の視線から外したが、この距離で、この高低差が悪かった。
首筋から続く彼女の胸もとへ目が行ってしまったのだ。
白い肌と、白いキャミソール。
吸い込まれる前に、胸もとを握りしめた九姫が一歩離れた。
その動作だけで自分の視線に気付かれたのだと耳が熱くなり、咄嗟に謝った。
「ごめん!」
「あ……うぅん、こっちこそ……その、ごめん。変なもの……見せて」
九姫は力なく笑った後、軽く頭を下げた。
「じゃあね、フミノリくん」
駆け出した彼女の背中を追いかけることなく、見つめた。
“ごめん。変なもの……見せて”
下心でつい目を向けてしまったが、九姫が言った事は、きっとそのことではない。
白い肌と白い肌着に映えるように色づいた青い痣のことを多分言っていた。
あの痣は原因が誰なのか、僕は知らない。