【創作小説】こんとんのはな【第7話】
◇◇◇◇
真夜中。
明日も授業があるから早く寝ようと思うのに、花寿美はベッドの上で膝を抱えて頭を空っぽにする。
実際に空っぽになっているわけではないが『無駄な時間』だと感じるような後にも残らないような思考内容である。
同じことを何度も繰り返しているのだ。
眠れない深夜。
少し迷ったあと、花寿美は羽織を軽く肩にかけ、いつもように本宅の裏庭から別宅へ向かった。
槐はいつもの迎え入れてくれるような笑顔ではなく、とても驚いた様子を見せた。
「……へ?お嬢?」
「……目が覚めて……眠れなくて……」
「…………夢……また見たんすか?」
「……」
「悪夢祓ったあとは自分の力の効果がしばらく続きますから、こんなすぐに次の悪夢を見ることはなかなかないんすけどね……おかしいな……」
頭を掻きながら槐は花寿美をいつもの和室へと通した。
槐の言う通りで、槐が花寿美の中に入り、悪夢を取り除いた数日は悪夢にうなされることは無い。
しかし花寿美は夢の有無について黙っていた。
「じゃあまぁ……お茶飲んで落ち着いたら部屋に戻って寝てくださいね」
「……今夜は一緒には寝てくれないの?」
花寿美の前に湯飲みを置いた槐は数秒停止した後、困ったように笑った。
「いやいや〜何ですか〜?お嬢が俺を誘うなんて〜。や〜らし〜!!」
「……」
「あ……いや……冗談です」
「……わかってるわよ」
「……う〜ん、お嬢は表情が少ないから時々何考えてるわかりませんね」
何を考えているかはわからないのは槐の方だと花寿美は感じたが、黙ってお茶を飲んだ。
「……いや、真面目な話。頻繁に直接的に力を使うのは危ないんです。曲がりなりにも神の力なんで。生身の人の身では中毒になりかねない。だから間隔は出来るだけ空けておきたいんです」
「……そうなんだ」
「二日連続は、初めてですしね」
「そう……ね」
「……」
花寿美は言葉の最後の方で少しずつ声は小さくなっているのが自分でもわかる。
腰を上げた槐が花寿美から離れようとするから花寿美は縋(すが)るように見つめた。
その視線に気付き、槐は安心させるように微笑み、大丈夫と言った。
槐は優しい香りのお香を焚く。
上品なその香りは槐の匂い。
いつもの槐の笑顔に花寿美は目を細めた。
「もう……十年ね。貴方がここに来て」
「え?」
「槐は宗鱗さんの頼み……受けるの?」
「へ……あぁ、今日のですか?」
「十年経ったから、戻るの?」
「……お嬢」
「何?」
「よろしいでしょうか?」
それはいつもの槐が花寿美に触れる前の許可の確認だとすぐに気付いた。
「……えぇ、いいわ」
少しの間、瞬きを繰り返した槐はふと視線を落として机の上に置いていた花寿美の手を握った。
「俺の仕事は『此処』じゃないんですか?」
「……別に……私が言い出したことじゃないわ」
花寿美がいる前から此処に住んでいる槐。
そうした詳しい契約は恐らく祖母が行ったのかもしれない。
しかし祖母はもういない。
それなら槐をそこまで固く縛るものは何もないはずだ。
「そもそも神様の槐が何で下界のこのお店にいるの」
「ん〜……まぁ〜、ほんのちょこっとだけ御法度してしまったので。此処で反省してろって言われた感じですかね」
「……何したのよ」
「ふはははは」
「……まさか女の子に手を出したとか、その類いじゃないでしょうね?」
「お?お嬢、冴えてますね」
片方の口角を上げた槐の笑みに花寿美は開いた口が塞がらなかった。
罪の重さの基準は知らないが、それで十年も下界へ追い出されていたなんてと呆れた。
しかし神様にとって十年なんて人間にとっての数日、数ヶ月と変わらないのかもしれない。
重くない罪なら、もう長く此処にいることはない。
花寿美は槐の袖を掴み、俯いた。
「槐……やっぱり今夜も此処で一緒に寝ちゃ駄目?」
「……」
一瞬、間を空けた。
断られるかと思った花寿美は袖から手を離し、握られている手もゆっくりと抜きとろうとした。
しかし槐が力を入れ直したことで、それは阻止した。
「やだな〜お嬢。そんな誘惑するなんて、おじさんはそんな子に育てた覚えはないですよ?」
「……」
「そんなに俺とキスしたいんですか?」
ヘラヘラした笑顔に気分を害した花寿美はムッと顔をしかめた後、立ち上がり別宅を去ろうとした。
でも槐はやはり花寿美の手を離さなかった。
「お嬢」
槐も立ち上がり、その手を引いて花寿美ごと槐へ引き寄せた。
切れ長の瞳が花寿美を捉える。
「さっきも言いましたが、二日連続悪夢祓いは危険ですから……」
「わかってる。だからもう自分の部屋に戻るわ」
「いや、そうじゃなくて」
全てを見透かすような瞳。
こうして近くで顔を見れば改めて端正で精悍な顔立ちだと感じる。
だけど、この姿も本来のものではない。
思えば彼の真実の姿を花寿美は知らない。
十年も一緒にいても、彼のことは何も知らない。
「力を使うことはできませんが、傍にいることはできますので……一緒に寝ましょうか」
「……いいの?」
「でも言っておきますが、」
相手の瞳の中に自分を確認できる距離。
「俺以外にそんなこと言っちゃ駄目ですからね」
いつものような笑顔じゃなく、真剣な目つきに花寿美は少しだけ笑った。
「私も言っておくけど、」
花寿美は槐の手をゆっくりと外した。
「寝ている間でも勝手なことは許さないから。私に触っていいのは私が『良い』って言った時だけよ」
槐はわざとらしく肩をすくめてようやく笑ってくれた。
槐の布団で横になる。
しかしいつものように槐から口付けはされず、隣に並んだ槐は花寿美に布団を掛けてやり、その上から数度優しく叩いた。
「こうするのはお嬢が小学生の時以来ですね」
「……そうだったかしら」
「はい、懐かしいです」
子供の時から花寿美のことを邪険にせずに、傍にいてくれた存在であった。
睡眠を必要としない霊獣であるが、花寿美の横に共に転がり眠きを誘うように一緒に瞳を閉じる。
安らぎの時間。
「槐」
目は開けずに、槐は鼻の奥の声だけで返事をした。
「……貴方はいつもは貴方以外には言うのは駄目だって言うけれど」
「……」
「………………私は、貴方じゃなきゃ……言えないわ」
槐はゆっくりと目を開けて、槐を見つめていた花寿美を見た。
また力の無い笑顔ではぐらかされるかと思ったが、槐は目を僅かに細めただけで何も言わなかった。
人差し指の背が花寿美の頬へ近付いたが、直前で指を止め、触れることなく引っ込められた。
その刹那の時間で胸の奥が震え、切なくなる。
「……私が目覚めるまで……傍にいてくれる?」
「……お嬢がそう言うのでしたら」
「うん」
花寿美は槐の胸に頭を預けて目を閉じた。
その夜、夢は見なかった。
だけど、溢れる朝日で拓けた視界の最初に飛び込んだのは
約束通り、傍にいてくれた人の顔だった。
悪夢は見なかったのに、それだけでいつものように目は涙の露を作り、流れた。